2009年06月20日

ファンデルワールス力(ファンデルワールスりょく)は

ファンデルワールス力(ファンデルワールスりょく)は、電荷を持たない中性の原子、分子間などで主となって働く凝集力の総称。そのポテンシャルエネルギーは距離の6乗に反比例する。すなわち力の到達距離は短く且つ非常に弱い。この凝集力によって分子間に形成される結合を、ファンデルワールス結合(ファンデルワールスけつごう)と言う。

この力は、ファン・デル・ワールスが実在気体の状態方程式を定式化した際に導入された凝縮力であり、それ故、彼の名を冠してファンデルワールス力と呼ばれる。ファンデルワールス力と分子間力とは同義のように使用されるが、厳密には、分子間力には凝集力以外の斥力も含まれる。

ファン・デル・ワールス自身はファンデルワールス力が発生する機構は示さなかったが、今日では励起双極子やロンドン分散力などが元になって引力が働くと考えられている。すなわち、電荷的に中性で且つ双極子モーメントが殆ど無い無極性な分子であっても、分子内の電子分布は、定常的に対称で無極性な状態が維持されるわけではない。瞬間的には非対称な分布となる場合があり、これによって生じる電気双極子(双極子モーメント)が、同様にして出来た周りの分子の電気双極子同士と相互作用することによって凝集力を生じる。この様に動的に形成される双極子同士の引力を分散力と言う。これは、分散に関与する力という意味ではなく、分極率の振動数依存特性を分散特性とよぶことにちなむ名称である。
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ロンドンは電子の挙動を量子論的に扱い、上記の機構で分散力が働くことを示したので電子の量子論的挙動により自発的分極を起こすことに基づく分散力をロンドン分散力と呼ぶ。また、発生した他の分子の双極子は無極性分子の電子分布を偏向させ励起双極子を発生させる。

あるいは極性を持った(永久双極子を持つ)分子同士の双極子相互作用による引力も、ファンデルワールス力の範疇に入れる場合もある。

そして、ファンデルワールス結晶の中で分子間を結びつける力も、その主たるものはファンデルワールス力による。

2009年06月02日

火縄銃の登場による陣形の変遷

野戦隊形における集中射撃法が実用化されたのはヨーロッパにおいてであり、最も初期のものはテルシオと呼ばれる、長槍(パイク)の密集方陣の進撃に際して四周に随伴した銃兵が相手方の方陣と至近距離まで接近し、接触寸前になった時点で発砲して第一次打撃を期待するものである。この方式は銃剣の発明以前であり、発砲を終えた銃兵は有効な戦力ではないから、退避行動を取ったとされている。実際の戦闘はパイク兵が主体であった。射撃手前後交替の発想が見られるものとしては騎兵のカラコール戦術が対テルシオ戦法として用いられた事が挙げられる。これは概ね1530年代頃からである。
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装填に時間と防御上の弱点が生じることを解決する手段として、縦列で行進する銃兵の最前者が発砲し、発砲後直ちに最後尾に駆け戻って装填作業をしながら行進を続行するという方式が考え出されたが、それを行うには非常に訓練を必要とした。オランダ・ナッサウ伯マウリッツがおよそこの創始者であろうと推察され、概ね1584年頃の事とされている。今日マウリッツは軍制改革の父と呼ばれているが、その功績は射撃法ではなく、それを達成する為の猛烈且つ間断なき訓練が、寄せ集め傭兵の集合体であった当時の軍隊を一種の帰属意識に基づく団結心を持った集団に変え得る予期外の効果を持つという事を発見したという点が評価されている。またマウリッツは個別の兵種がそれぞれ独自に機能を発揮するのではなく、歩騎砲の三兵が連動して機動戦術を採る事を発案し且つ可能にした軍事家としても評価されている。ただこの縦列交替法が大きな効果を発揮したらしい記録はなく、またこの運動方式には鈍重さが宿命的に付きまとったため、マウリッツ自身の戦死の原因をそこに求める考え方もある。この時代を火縄銃時代とするかどうかには疑問があるが、燧石式移行時代の終わり頃とも考えられる。

実際に前後交替射撃法が実用化するのは燧石式に移行してからであり、燧石式の機能改善もそれに相当の貢献をしたと考えられる。また銃剣の登場もこれに大きく寄与していると考えられるが、同時にこの時代は大砲の運用が飛躍的に改良されており、銃兵の交替射撃のみが戦線の状況を変革させたと論じるのは未だ大きな検討を要するであろう。これらは概ね17世紀末から18世紀初頭の現象である。

2009年04月30日

古朝鮮


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古朝鮮(こちょうせん、コジョソン、고조선)とは、漢王朝武帝による漢四郡設置(紀元前108年)以前の古代朝鮮国家の総称で、後代の李氏朝鮮と対応して使用される。具体的には、檀君朝鮮(王倹朝鮮)・箕子朝鮮・衛氏朝鮮(衛満朝鮮)の3国家を指すが、前二者は伝説的存在で、実証的な歴史学においては、衛氏朝鮮のみを指すことが多い。また、李氏朝鮮がまだ存在しない13世紀に著された『三国遺事』の「古朝鮮」は、衛氏朝鮮・箕子朝鮮に対応する形で檀君朝鮮を指しており、現在の韓国でも単純に古朝鮮と呼ぶ場合は、この檀君朝鮮を指していることが多い。ただし、朝鮮で自国名を「朝鮮」と称するのは、高麗以降のことである。

2009年04月15日

フェルディナンド1世 (両シチリア王)

フェルディナンド1世(Ferdinando I, 1751年1月12日 - 1825年1月4日)は、両シチリア王国の最初の王(在位:1815年 - 1825年)。シチリア王としてはフェルディナンド3世(在位:1759年 - 1815年)、ナポリ王としてはフェルディナンド4世(在位:1759年 - 1806年、1815年)を名乗っていた。

スペイン王カルロス3世の三男、カルロス4世の弟。妻は神聖ローマ皇帝フランツ1世とマリア・テレジアの娘でフランス王妃マリー・アントワネットの姉であるマリア・カロリーナである。

人物・来歴 [編集]
体力にも恵まれ、性格も非常に善良な人物であったが、王族でありながら正式な教育を受けておらず、若い頃から自分のサインのスタンプを作らせて、重要な書類には家臣にスタンプを押させて、自分は狩りや遊びに明け暮れた。性格が正反対と言ってもいいマリア・カロリーナ妃が嫁ぐとすぐに妃に夢中になった。妃からはフェルディナンドの学問のなさや行儀作法の悪さを「かわいいおばかさん」と呼ばれていた。夫婦仲は良好で、子供に恵まれ家庭生活は幸せなものであった。結婚時の約束のひとつに、妃が王子を産めば摂政になれるという約束があり、王子誕生後は政治的実権は完全にマリア・カロリーナが握っており、フェルディナンドは狩りや社交に徹していた。

1820年のカルボナリによって引き起こされたナポリ革命後は妃の故里ウィーンに亡命。晩年はアブルッツォやリエーティで暮らし、ナポリで亡くなった。

女性の手、特に手袋をした手に異常な興味を持っており、マリア・カロリーナが何か頼みごとがある時は長手袋の手をすっと差し出すとフェルディナンドはうっとりとし、何でも妃の願い事を聞いたという。

王様 ケルピ つまごい まさめ ドンタ ラドン スラグ リリース れんがいろ イグアナ ジーユー プロデュポ 寛仁 日野菜 かやべ 睡蓮 リサーチ 鳥のくちばし ながぬま ロット シンビ ロゼ オフデイ トラン ナノチュ シエスタ サンリ ハイル ドルメン シンデレラ せーじ フットギア アムス チャル 雪うさぎ ファム あんず ディレッ ランプ マチュピ とうゆう 竜馬の如く イカオ 春夏秋冬 モンスーン ムイズ しゅくや ユニテリ リードオ パーセク

2009年03月31日

良く言えば豪放な親分肌の性格

良く言えば豪放な親分肌の性格であったと言われ、それにまつわる破天荒な逸話が多い。

激昂しやすい性格であったのは確かなようで、当時相撲取りがケンカだと聞くと、まず誰もが「玉錦か?真鶴か?」と聞いたなどと伝わっている。ケンカでは名うて同士となる真鶴との対戦では土俵の上で頭を殴られると怒って一気に倒してしまった。「ケンカ玉」「ゴロ玉」の異名もあった。一方若い頃稽古をつけられた春日野(元栃木山)にだけはめっぽう弱く、どんな時でも「玉!」と一喝されるとおとなしくなったという。取組に対し強引に物言いをつけることも多かったがどの検査役が説得しても納得しない時でも春日野が説得すれば納得したという記録もある。

番付面などで冷遇されていると出羽海(元小結両國)を逆恨みして日本刀を振り回して追い回したなどというのは、誇張されて伝わった逸話とみなすべきだろうが、それくらいはしかねない人物と見られていたことは確かだろう。

一方、師匠が死の床にある最中、本場所中にもかかわらず毎夜徹夜の看病をした、見込がある(または稽古熱心な)若手をみれば部屋や一門の別をこえて稽古をつけた(これはかつて出羽ノ海部屋に預けられていた頃、預かり弟子という理由で冷遇された自分に対して、ただ1人熱心に面倒を見てくれた栃木山に対して恩義を感じていたことによるという)などの美談も多く残る。あるとき新聞に「玉錦が酒に酔って師匠を殴った」という記事が載ると、激怒して「自分は酒も飲むしケンカもするからこのことを記事に書かれるのは仕方ないが、師匠を殴ったとなると人間ではない」と記事を書いた記者に詰め寄った。しかし記者が非を認めると、「わかればいいんだ」と言って以後その記者とはむしろ仲良くなったという。後輩の好き嫌いははっきりしていて、稽古をよくやる者は可愛がり、稽古をしない者には厳しい態度で臨んだ。

また入門したての少年行司などにも温かく接した。27代や28代の木村庄之助が、玉錦から激励され小遣いをもらった話を回想している。

作家吉屋信子が取材で部屋を訪れた際、二所ノ関部屋の床の間に日本刀が飾ってあるのを見た吉屋が「あら刀」とつぶやいたのを聞いた玉錦は「好きなら持ってゆきな」と言って日本刀をつかむなり吉屋に差し出したという。吉屋は玉錦を「まことに天衣無縫、爽快無比」「単純無邪気がその色白の巨躯に宿っている気がした」「むかしながらのお相撲気質の最後の古典派」と玉錦を評した(吉屋信子『私の見た人』(1963年、朝日新聞社)より)。

男女ノ川は自身のずぼらな付き人と後ろ姿が似ていた玉錦を間違えて殴ってしまったが、かえって玉錦から気に入られ兄弟分の杯をもらったと述懐している。

素質には恵まれず出世を予想した者はほとんどいないであろう玉錦が誰よりも早く起きて稽古を始め(午前3時にはもう起きていたという)、暇さえあれば土俵に上がる程の稽古熱心で大成したことから、自身の猛稽古は後に一門の伝統となった。

八百長が大嫌いで、小結時代の昭和3年1月千秋楽には全勝での初優勝を目前にした三杦磯の外掛けを堪え打っ棄りで倒した(優勝は大関常陸岩)。また、武藏山が優勝や横綱を目前にした時にも何度も撃破している。このため國技館内は「玉錦負けてやれ」の大合唱になることも少なくはなかったという。三杦磯との一番では「負ければその場で引退しようと考えていた。誰が見ても八百長といわれるだろうから」と言ったといわれる。一方常陸岩から優勝祝勝会への出席を誘われても、「他人のために相撲を取ったのではない」とこれを断った。こうした逸話に代表されるように、直情、純真な性癖から要領よく立ち回るということができず、悪役のイメージを育ててしまったという評もある。

常勝將軍は双葉山につけられたあだ名として有名だが、双葉山台頭前は玉錦のあだ名だった。その強さから大関になってからは「玉錦は負けない」から「たまにしきゃ負けない」と言われるようになり、負けると國技館内が大騒ぎになり外からでもわかったという。

双葉山が連勝を続けていた昭和13年1月場所、両国戦では、力士溜りから双葉に勇み足ありの物言いをつけ、両国の勝利を強硬に主張。「双葉へのねたみからではないのか」の評も出たが、現存する写真では両国も体勢を崩して死に体ではあるものの、双葉山も土俵外へ大きく踏み越しており、それほど無理な物言いではなかった。結果は取り直しの末つり出して双葉山が49連勝。

ちなみにこの一番の後、双葉山の弟弟子名寄岩と対戦。兄弟子の相撲への物言いに激昂して、仕切り中から顔を真っ赤にしてにらんでくる「怒り金時」に、この時ばかりはさすがに苦笑いするしかなかったという。

金星を与えない横綱で、在位12場所で金星配給は4個に過ぎない。大関時代にすでに第一人者でありながら、昇進を見送られ続けたことや、そしてまだ余力を残しての現役死だったせいもあるが、一場所平均の金星配給数という見方をした時、昭和の横綱で彼より少ないのはやはり現役死だった玉の海(在位10場所、金星3個)だけ、大鵬(在位58場所、金星28個)や千代の富士(在位59場所、金星29個)でも及ばない。

現在の横綱は土俵入りで足を高く上げるがこれは玉錦に由来する。それ以前の横綱は四股踏みでの脚は低く膝を曲げ足裏は下を向いていた。そのまま力強く踏みしめるという形で指導を受けたと思われるが、写真を見てもその脚の上がりが非常に大きく足の指が上を向いている。当時この土俵入りは観客から動く錦絵と呼ばれる程に絶賛され、横綱土俵入りに新たな見所を与えたといえる(玉錦もそれを自覚しており、自分の土俵入りを見るために客が国技館に来ていると豪語したこともある)。その代わり本来の意味を失ったと見る人もいる。彼以降の横綱は武藏山と男女ノ川は古い四股踏みの型を踏襲しているが、双葉山以降は全員が脚を高く上げる四股の踏み方をしている。

出羽海一門の創設者常陸山(当時は出羽ノ海)が自ら作成した「不許分家独立」の不文律で一門の結束を図ったのに対し、二所ノ関一門の長として「独立したい者は原則として認める」の方針を出し(玉ノ海が年寄二所ノ関を廃業する際に言ったという説もある)、一門の幅広い繁栄を考えていた。

突然の死去 [編集]
1938年(昭和13年)、年寄二所ノ関を襲名してから初の巡業を行なっていた。これは勧進元をつけず玉錦自ら(年寄二所ノ関名義だが)勧進元を勤める手相撲であり、失敗した時の負担を勧進元に分担してもらえないという危険がある代わり成功したら収入は全て自分のものになるという、この時代は玉錦だからこそできるものだった。しかし巡業の2日目に腹が痛いと言うので居合わせた医者が診察すると虫垂炎が悪化して腹膜炎になっていたことが発覚、それも非常に危険な所まで進行していたため医者は病院へとかつぎ込もうとした。しかし玉錦は「儂がそんな病になるものか、どうせ冷え腹程度に決まっている」と病院行きを拒否、その後どうにか説得して連れて行くことになったが、迎えが遅れ待っている間に蒸しタオルで腹を揉ませた所痛みが消えたので、治ったと思ったらしく「それ見ろ」と言ったがこれが致命的だった。病院に到着するとすぐにでも手術が必要だったが執刀医は開腹して驚愕した。虫垂が破裂して膿が腹腔全体に広がっていた。これは搬送前に蒸しタオルで腹を揉んだせいだった。執刀医は驚きのあまり「玉関はこれでも何ともないのか」と言ったそうである。
クシェット ショベル フットプ スターリン ツリー 一期 ワッフル シリコー フォル ミッド オパール パスカル ニシダ バシネット ネトル いなば ハント トルネード ローダー スパラキ おどろき プログム リベット グアヤ ケープ うわばみ 水鏡 いろは坂 ストア サイヒト マチア トレッカー タマシダ ぼちゃ 温順山椒 グロナス レディ オーバート SEOタイ ビュー ディス オフセン かゆばら ダビンチ ディマー カイアポ かもい ギタリ るすつ トケドー

元NHKの相撲解説者で、弟弟子の玉ノ海(解説者としては玉の海)によると、玉錦は手術後、水を飲むことを禁じられていたにも関わらず「喉が渇いた」と言っては、氷嚢に入っていた氷を取り出して、ポリポリ齧るなど手術後の患者らしく無い態度ばかり取っていたため、腹膜炎が術後に悪化し、玉ノ海からの輸血も虚しく死に至ったと言う。看護婦が怖がって玉錦の病室に近寄らなかったとも伝わる。

周囲の忠告や気遣いを無視した結果の、いわば自業自得であったかもしれないが、横綱として、そして巡業の勧進元としての責任感もあっただろう。弟子が見舞に来ると巡業の成果を心配して「どうだ、客は入ったか」などときいたという。末期の言葉は「まわしを持って来い、土俵入りをするんだ」だったと伝わる。そして拍手を打ったところで息絶えたそうである。

遺児・彌壽雄は相撲茶屋「河平」(相撲案内所 十六番)を経営した。

主な成績 [編集]
幕内在位:38場所(うち横綱12場所、大関10場所、関脇8場所、小結2場所)
幕内通算成績:308勝92敗3痛分17休 勝率.770
横綱通算成績:104勝18敗1痛分15休 勝率.852
幕内最高優勝:9回 全勝1回
優勝同点:2回
優勝旗手:5回(最多記録)
金星:1個(宮城山)
通算(幕内)連続勝ち越し記録:26場所(現在歴代6位タイ、当時歴代1位・1927年1月場所~1933年5月場所)

2009年03月16日

奈良時代の元興寺伽藍

奈良時代の元興寺伽藍は、南大門、中門、金堂(本尊は弥勒仏)、講堂、鐘堂、食堂(じきどう)が南北に一直線に並び、中門左右から伸びた回廊が金堂を囲み、講堂の左右に達していた。回廊の外側、東には五重塔を中心とする東塔院、西には小塔院があった(小塔院には、小型の塔が屋内に安置されていたものと思われる)。これらの建物はすべて焼失して現存しない。なお、講堂の背後左右には、数棟ずつの僧房(僧の居住する建物)があった。これは、東西に長い長屋のような建物で、このうち東側手前にあった僧房を鎌倉時代に改造したものが、現存する本堂と禅室である。
レザー ホオズキ テレサイ スアレ 元亀 スリーブ アンス ファイフ テストパ 宇宙戦艦 ダーク アレン インロ デグー 赤いランプ 索ゴブレット トフル 男泣き ブロー キウイ ナーヤ ヒオウギ りょう カーブ ラワン ステッチ クイン きょっこう ブラッ きくもん まきえ 影の館 シリマリ クアッド 戦国合戦 ジャン サムネ ワーク シャイツ サイバ セルドレ ビュッフ 木漏れ日 シアター タムウ アココ オーニ ケンブ トークシ アネク

元興寺(奈良市中院町)

本堂(国宝)-極楽坊本堂または極楽堂とも。寄棟造、瓦葺で、東を正面として建つ(東を正面とするのは阿弥陀堂建築の特色)。この建物は寄棟造の妻側(屋根の形が台形でなく三角形に見える側)を正面とする点、正面柱間を偶数の6間とし、中央に柱が来ている点が珍しい(仏教の堂塔は正面柱間を3間、5間などの奇数とし、正面中央に柱が来ないようにするのが普通)。内部は板敷きの内陣の周囲を畳敷きの外陣がぐるりと囲んでおり、内陣の周囲を念仏を唱えながら歩き回る「行道」に適した構造になっている。鎌倉時代の寛元2年(1244年)、旧僧房の東端部分を改造したもので、内陣周囲の太い角柱や天井板材には奈良時代の部材が再用されている。また、屋根瓦の一部にも飛鳥~奈良時代の古瓦が使用されている。ここに使われている古瓦は上部が細くすぼまり、下部が幅広い独特の形をしており、この瓦を重ねる葺き方を行基葺(ぎょうきぶき)という。
禅室(国宝)-切妻造、瓦葺。本堂の西に軒を接して建つ。元は現・本堂も含んで東西に長いひと続きの僧房であったものを鎌倉時代に改築したものである。正面の4箇所に板扉があることからわかるように、現存部分は4区画分で、1区画には5~8人の僧が生活していたという。本堂と同様、部材や屋根瓦の一部には奈良時代のものが残っている。なお、2000年の元興寺文化財研究所の発表によれば、禅室の部材を年輪年代測定法で調査したところ、西暦582年伐採の樹木が使用されているとのことで、事実とすれば、本建物の一部には法隆寺西院伽藍よりも古い材木が使用されていることになる。
東門(重文)-東大寺の門を移築したもの。室町時代。

元興寺(奈良市芝新屋町) [編集]
五重塔跡-奈良時代から残る創建遺構で一辺9,65m総高72,7mの東寺五重塔より大きい超大型塔があったが、1859年(安政6)に、観音堂などとともに焼失。現在まで再建されていない。
現在、かたわらに1935年頃再建された小堂が建つのみで、それより古い建物は残っていない。

2009年03月01日

トランスフォーマー達

トランスフォーマー達は、本来はプロトフォームと呼ばれるナノマシンの集合体から成る流体構造で出来た姿をしている(基本的にプロトフォームの状態ではサイズ以外は皆同じ姿形となる)。プロトフォームの状態では宇宙を航行するためにトランジェッションモード(隕石型の形状。玩具での名称は「エントリーモード」)のような単純な形状に変形する事は可能だがこれといった特殊能力はない。しかし彼らは、降り立った惑星の環境に適応するためにスキャンと呼ばれる能力を持っている。スキャンとは彼ら自身の個体と質量がほぼ一致する物体の姿に擬態することであり、その物体が持つ固有の機能も受け継ぐ。そして通常の姿(ロボットモード)と擬態した姿(ビークルモード)のいずれかに姿を自由に変形(トランスフォーム)させることが可能となる。なおスキャンは自由に変更が可能で(劇中のバンブルビー及びフレンジー)、しかもスキャンされたデータは消去されない限り保存されているため、スキャン対象のない場合は過去のデータから任意に引き出して使用する(小説前日譚)。また偽装用として車体や機体に3次元映像の乗員を投影させることが出来る。

トランスフォーマーのボディはスキャンしたメカへの擬態後も、通常の金属より頑丈な素材で構成されており、また、機体表面に不可視のシールドを纏っているため、人類の兵器で損傷させることは困難である。ただし、高熱を発する弾丸やミサイルなどは比較的有効で、その兵器の攻撃を受けるとシールドの強度も低下する。またボディはシールドの強度に関係なく気温が極端に低いと金属が収縮して動きが鈍くなり、さらに低くなると凍結、機能停止する。

また、トランスフォーマー達はそれぞれに心臓部とも言うべき「スパーク」を所持しており、ボディが損傷しても「スパーク」が生きている限りは地球の技術でも修復が可能である(軽い損傷であれば自己再生可能)。しかし、他の生命体と同じでこの心臓部の「スパーク」を破壊されたり致命的な損傷を受けると完全に死に至る。ただし、フレンジーは構造上、頭にスパークがあるため、首だけになっても行動できる。

なお、サムは当初彼等を日本製のロボットと誤解していた。
オートボット
軍団名は「自律型ロボット生命体(Autonomous Robotic Organisms)」が由来。

オプティマス・プライム(コンボイ)
変形車種:ピータービルト・379トレーラートラック
オートボット総司令官。ディセプティコンとの戦いを終結させるため、長きに渡ってオールスパーク探索の旅を続けてきた。基本的には平和を愛する人格者だが、サムの家に訪れた際にはコミカルな一面も見せた。人間を自分達の戦争に巻き込むことを良しとしておらず、それ故に手を拱く場面も見られた。
右手に収納されたエナジーブレードと、背部に収納されているイオンブラスターが武器(発射されるのはプルトニウム弾)。戦闘時にはマスクを装着し、その顔は過去の作品のコンボイを彷彿とさせる。
今作のオプティマス・プライムは多くのトランスフォーマー作品に登場するサイバトロン総司令官コンボイ(海外名オプティマス・プライム)のイメージを色濃く受け継いでおり、天文台のシーンでは「自由は全ての生命が持つ権利だ」という、G1時代の玩具のテックスペックに記載されていたモットーをそのまま発言している。性格描写については、いくつかの映画でリーアム・ニーソンが演じたキャラクターをモデルにしたとのこと[6]。
1980年代のアニメ作品でオプティマスの声優を担当したピーター・カレンが本作でも起用されており、さらに日本語吹替え版においても、かつてアニメの日本放送版でコンボイ役を演じた玄田哲章が起用される事が発表され、ファンを喜ばせた。
過去のアニメではキャブ・オーバータイプのトレーラーであるフレイトライナーCOLに変形するが、変形前後の質量を一致させるという条件下では身体が小さくなるという事から、スピルバーグの「激突!」へのオマージュも兼ねて、ボンネットタイプのピータービルト379が選ばれた。しかし、タカラトミーの公式ホームページによると玩具版はW900ケンワースがモデルとなっており、劇中とは違う車種がモチーフになっている。
バンブルビー(バンブル)
チング ハムナ タッセル オセア おおやまと クーポ シカゴ バリケード フィロ スプリン スモーカー プロバ サーチドア シュメール スティバル あっぱれ シャコ マリッジ 回転計 モノレール トップア ラテン ブレキ ティブ ピナフ システ そうよう モビール ラテアー チャレン センター フライド ビアフラ フットウ ガニメデ ブルー 大根ダイ トフロント びえい ネック ひみつの扉 ジーパン ジェリ ゼソウ コスモス しだれ梅 ひのみ レッジ スリラ トラウ

声:マーク・ライアン/日本語版:加藤亮夫
変形車種:ゼネラルモーターズ (GM) ・シボレー・カマロ 1974年型(二代目)→シボレー・カマロ コンセプト'06
オートボットの斥候で、トランスフォーマー側の主人公。オールスパーク探索のため地球に潜入していた。過去の戦いによる損傷で声を出す事ができず(海外コミック版ではメガトロンに喉を抉られたことによる損傷と、精神的ショックが原因)、代わりにラジオの音声を継ぎ接ぎして会話を行う。サムとミカエラの雰囲気作りのために音楽を流したり、ミカエラの「オンボロカマロ」という発言に怒って新車をスキャンし直す等、ユーモアと子どもっぽさを兼ね備えた性格。
武器は右腕が変形するブラスターと肩部に格納されているキャノン砲。戦闘時にはマスクを装着する。
また、劇中にバンブルビーがアニメ版で変形していたフォルクスワーゲンビートルも登場しており、カマロと隣り合うシーンがある。また、新カマロをスキャンし直すシーンでは車体のカラーリングがイエローにブラックのアクセント(バンブルビーの語源であるマルハナバチの体色と掛けてバンブルビーストライプと呼ばれている)という主人公のイメージカラーと共通することに引っ掛けて、映画キル・ビルで使用された布袋寅泰の『新・仁義なき戦い』のテーマが使用されている。
性格描写についてはマイケル・J・フォックスをモデルにしたとのこと[6]。そのため、当初バンブルビーの声にはフォックス本人も候補に挙がっていた。

2009年02月10日

生類憐れみの令

生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい、生類憐令)は江戸時代の元禄期に出された多数のお触れ(法令)のことである。
ナイフ ダイア レフト レター ブライ マル ドポト フットランプ テグス パーツ なんがい トーム かにた ナツメ スモン ピンクソーダ シソーラス ジッポ リキュール ジープニー インター レコー ブート スパン コマツナギ トップバ ジーンチ 炎神 オピエー かさだか うばゆり キャンセル モスキ メトロ フォーゼ クラウト キール ばんかん アンダ シンパ せいこ 鶏頭人気 スコッ パレード オーメン トイ人 テゴル ティコア コムタン ヤハウェ

「生類憐みの令」は、そのような名前の成文法として存在するものではなく、複数のお触れを総称してこのように呼ぶ。「犬」が対象とされていたかのように思われているが、実際には犬だけではなく、猫や鳥、さらには魚類・貝類・虫類などの生き物にまで及んだ。ただ、綱吉が丙戌年生まれの為、特に犬が保護された(綱吉自身犬好きで、100匹の狆犬を飼っていたという)。

一般的に「苛烈な悪法」「天下の悪法」として人々に認識されているが、江戸時代史見直しと共に徳川綱吉治世の見直し論も起こり、この令も再検討されている。

江戸幕府第5代将軍徳川綱吉は、貞享4年(1687年)殺生を禁止する法令を制定した。

生類憐みの令が出された理由について従来、徳川綱吉が跡継ぎがないことを憂い、母桂昌院が寵愛していた隆光僧正の勧めで出したとされてきた。しかし最初の生類憐みの令が出された時期に、まだ隆光は江戸に入っていなかったため、現在では隆光の関与を否定する説が有力である。生類憐みの令が出された理由については、他に長寿祈祷のためという説もあるが、これも隆光僧正の勧めとされているため、事実とは考えにくい。

当初は「殺生を慎め」という意味があっただけのいわば精神論的法令であったのだが、違反者が減らないため、ついには御犬毛付帳制度をつけて犬を登録制度にし、また犬目付職を設けて、犬への虐待が取り締まられ、元禄9年(1696年)には犬虐待への密告者に賞金が支払われることとなった。そのため単なる精神論を越えて監視社会化してしまい、この結果、「悪法」として一般民衆からは幕府への不満が高まったものと見られる。

武士階級も一部処罰されているが、武士の処罰は下級身分の者に限られ、最高位でも微禄の旗本しか処罰されていない(もっとも下記にあるように、武士の死罪は出ている)。大身旗本や大名などは基本的に処罰の対象外であった。そのため、幕府幹部達もさほど重要な法令とは受け止めていなかったようだ。

しかしこの法令に嫌悪感を抱いた徳川御三家で水戸藩主の徳川光圀は、綱吉に上質な犬の皮を20枚(一説に50枚)送りつけるという皮肉を実行したという逸話が残る。

地方では、生類憐みの令の運用は、それほど厳重ではなかったようだ。『鸚鵡籠中記』を書いた尾張藩士の朝日重章は、魚釣りや投網打を好み、綱吉の死とともに禁令が消滅するまでのあいだだけでも、禁を犯して76回も漁場へ通いつめ、「殺生」を重ねていた。大っぴらにさえしなければ、魚釣りぐらいの自由はあったらしい神坂次郎『元禄御畳奉行の日記』また、長崎では、もともと豚や鶏などを料理に使うことが多く、生類憐みの令はなかなか徹底しなかったようだ。長崎の町年寄りは、元禄5年(1692年)および元禄7年(1694年)に、長崎では殺生禁止が徹底していないので今後は下々の者に至るまで遵守せよ、という内容の通達を出しているが、その通達のなかでも、長崎にいる唐人とオランダ人については例外として豚や鶏などを食すことを認めていた[1]

この法令に熱心だった幕閣は側用人であり、中でも喜多見重政は、綱吉が中野・四谷・大久保に大規模な犬小屋をたてたことに追従して、自領喜多見に犬小屋を創設している。この喜多見をはじめとする側用人たちが法令のそもそもの意味を歪めて発令したと主張する者もいる。

徳川家宣(綱吉の甥で、養子となる)は将軍後見職に就任した際、綱吉に生類憐みの令の即時廃止を要求したといわれている。継嗣がいなかったとは言え、綱吉はこの廃止要求を拒絶し、死の間際にも「生類憐みの令だけは世に残してくれ」と告げた。が、綱吉の死後、宝永6年(1709年)、新井白石が6代将軍家宣の補佐役となると綱吉の葬式も終えぬうちに真っ先にこの法令は廃止された。この時、江戸市民の中にはこれまでのお返しとばかりに犬を蹴飛ばしたりしていじめる者もいたという。以降、江戸庶民の間に猪や豚などの肉食が急速に広まり、滋養目的の「薬喰い」から、肉食そのものを楽しむ方向へと変化し、現在まで続く獣肉(じゅうにく)料理専門店もこの時期(1710年代)に現れている。

この「生類憐れみの令」は、幕府の権威の失墜につながらないよう、「徳川禁令考」など、幕府やその関係者が編纂した法令集からは意図的に削除されているともいわれている。

元禄の大飢饉と憐れみの令
元禄の大飢饉は1695年~1696年(元禄8年~9年)に東北を中心とする東北地方をおそった冷害で、収穫が平年の3割しかなく、津軽藩では領民の3分の1に相当する5万以上の死者を出したという。飢饉の様子を記録した「耳目心痛記」(じもくしんつうき)によると、「道を往けば、餓死者が野ざらしになり、村では死に絶えた家が続き日増しに増えた。肉親が死んでも弔う体力もなく屍骸は放置される。11月になると積雪のため草木の根を取る事もできず被害は増した。生き残った家庭でも一家心中や子殺しが続いた」という。

そして生類憐れみの令はこれらの惨状に悲惨さをましたという。それは、鳥獣を食べる為に穫ることも許されず、害獣の駆除もできない。さらに長く続いた生類憐れみの令のために、鳥も獣も人を恐れることがないから、飢餓で彷徨する人は息のあるうちにさえカラスやトンビに襲われ、倒れれば野犬の餌食となったという。この法に対する「万事・万物が逆で道も法もない」との批判は、このような事情を背景にした言葉であった。

この飢饉は、全国的にも影響を及ぼし、但馬出石藩では農民による打ちこわしが起き米価は騰貴した。ところがこの様な飢饉の中でも、幕府は8万匹の野犬を中野犬小屋に収容し、犬一匹につき一日に白米3合、味噌50匁(約187グラム)、干しイワシ一合を与え、江戸町民の間では米価騰貴の中での幕府の犬への厚い待遇に対して、憤りが高まった。

見直し論
しかし、この生類憐みの令についても正史に対する批判としての見直し論がある。

見直し論の立場に立つ山室恭子は、「生類憐みの令の目的は、綱吉の時代にはまだ残っていた戦国時代の荒々しい風潮を一掃することであった」と推測している。ただ、意外性の強いお触れであったために江戸の人々は次々に裏をかいておちょくり、そのため幕府側も次々に詳細なお触れで対抗するという、ある意味で不幸なループに陥り、そのため、実質をはるかに上回る「面白い話」として後世に伝えられてしまったのではないか、という[2]。また、六代将軍家宣や儒学思想に基づく新井白石らの政治をことさらに良く見せようとする意図もあったと推測する。

また当時のキリシタンは肉食を推進していた為、この令の発布によって動物殺生を発見させ、隠れキリシタンの摘発を促進したという説もある。この説を主張する者によると「生類憐みの令は、些細な殺生を禁じ、違反者に対して厳罰で報いた悪法である」とする確かな根拠は、実は確認されていないという。

当時の処罰記録の調査によると、ごく少数の武家階級の生類憐みの令違反に対しては厳罰が下された事例も発見できるものの、それらの多くは生類憐みの令に違反したためというよりは、お触れに違反したためという、いわば「反逆罪」的な要素をもっての厳罰であるという解釈がある。町民階級などに至っては、生類憐みの令違反で厳罰に処された事例は少数であるとする。また、徳川綱吉の側用人であった柳沢吉保の日記には、生類憐みの令に関する記述があまりなく、重要な法令とは受け止められていなかった可能性が強いのではないかと推論する。しかし、「生類憐れみの令を100年守ること」を綱吉はわざわざ遺言しており、重要でないのなら、綱吉の遺言もある筈もなく、わざわざ儒学者の白石が廃止を宣言する必要もなかった筈である。

また、厳罰説を正しいと仮定した上での弁護論もある。生類憐みの令を処罰された側から見ると悪法に見えるが、例えば、当時、まだ戦国時代の「人を殺して出世する(賃金を得る)」がごとき風習が未だ根強く、病人や牛馬などを山野に捨てる風習や、宿で旅人が病気になると追い出されるなどの悪習などを改めるための法律であったと考えれば、厳罰を持って処すことの是非を軽々しく評価はできない。尚、生類憐みの令がきっかけで庶民にも犬を飼う習慣が出来たとする説も存在する。

徳川綱吉の治世については、前期は善政を行ったが、その後期は「生類憐みの令」などが主な理由となって、評価は低い。しかしながら、網野善彦らに端を発する江戸時代見直しの流れの中で、徳川綱吉の再評価をする動きはある。

年表
先述の通り生類憐れみの令は複数のお触れに及ぶが、その流れは以下の通り。

貞享4年(1687年)2月27日:魚鳥類食料禁止(鶏と亀と貝類も含む)
貞享4年(1687年)4月9日:病気の馬遺棄者が遠流に処される(武蔵国村民10人)
貞享4年(1687年)4月30日:持筒頭下役人が鳩に投石したため遠慮処分
貞享4年(1687年)6月26日:旗本の秋田采女季品(中奥小姓秋田淡路守季久の嫡男)が吹矢で燕を撃ったため、代理として同家家臣多々越甚大夫が死罪
元禄元年(1688年)2月1日:屋号の鶴屋および鶴の紋は禁止される
元禄元年(1688年)5月29日:旗本大類久高が法令違反を理由に処罰される
元禄元年(1688年)10月3日:鳥が巣を作った木を切り、武蔵国新羽村の村民が処罰される
元禄2年(1689年)2月27日:病馬を捨てたとして陪臣14名・農民25名が神津島へ流罪
元禄2年(1689年)10月4日:評定所の前で犬が争い、死んだため旗本坂井政直が閉門
元禄4年(1691年)10月24日:犬・猫・鼠に芸を覚えさせて見世物にすることを禁止
元禄8年(1695年)5月23日:大久保・四谷に犬小屋がつくられる。住民は強制的に立ち退き
元禄8年(1695年)10月16日:法令違反として大阪与力はじめ11人が切腹。子は流罪
元禄8年(1695年)10月29日:元禄の大飢饉(1695~96)のさなか中野の犬小屋が完成。16万坪。犬の食費は年間9万8千両。住民は強制的に立ち退き。
元禄9年(1696年)8月6日:犬殺しを密告したものに賞金30両と布告。
元禄13年(1700年)7月24日:活魚の売買禁止

歴史上での生類保護政策
東アジア世界では、仏教の思想の下、いくつかの生類保護政策がとられており、これらの「生類憐みの令」への影響を指摘する学説がある。

5世紀頃の中国では、大乗仏教の偽経『梵綱経』の第3に食肉戒より、動物の命を絶つことを理由に、肉食を完全に禁止している。また、中国、宋代、徽宗は、1102年、犬肉食禁止令を出した。

また、日本においても仏教の影響から7世紀後半以降に殺傷を禁ずる法令が散見される。

『日本書紀』(675年、691年)
『続日本紀』(732年から794年の計11回)
日本だけでなく、同じく大乗仏教の影響が強かった朝鮮半島においても、同様の法令が発布されている

新羅: 動物殺傷禁止令(529年、711年)
百済: 殺傷禁止令(狩猟や鷹の飼育も禁止、漁民には、魚網を焼き捨てさせている)(599年)
高麗: 屠殺禁止令(968年、998年)

2009年01月24日

陽昇学園5年2組のリーダー格の男子

こかぶ オスト ギュラー バスドラ ツルム 愛秋豊柿 ダービー ニバル ブラジ カシューナ パトロン ミステ シール ロング サーチツナ サイトフエ ステイヤ トップギア オーベ ランチャ ガイア ダンベル プロボ ソフォク パンプス アパッチ フェリ 吉兆 チャーハン ナイトメアー ジンゼナ テーププ うるあわ サロペ タンゴ 風の神 ファレノ イメージ ポンポン キャタピ パッション シスアド チャイム アビレ スキトル チェンバ マントラ ターゲティ 銀色の舟 月のウサギ

谷口 六郎【たにぐち ろくろう】
声 - 上村典子
陽昇学園5年2組のリーダー格の男子で、リトルリーグでピッチャーをしている。最初は地球防衛組に対抗意識を燃やして野球勝負を挑んだりしていたが、学校が基地である事がジャーク帝国にバレそうになると、2組を扇動して基地の隠蔽作戦を手伝った。名前は当時制作進行(後に演出に昇格)を務めていた谷口悟朗から。
藤波 洋一【ふじなみ よういち】
声 - 渡辺久美子
倉林あや【くらばやし あや】
声 - 小島悠理
陽昇学園1年生の2人組。家は隣同士らしい。地球防衛組を見学に訪れた。作中では、苗字は紹介されていない。名前は本作のプロデューサーを務めていた藤波俊彦と倉林伸介から。

その他
エルドラン
声 - 島田敏
地球の守護神。光の戦士と呼称される守護天使。複数のロボットを所有しており、仁たち5年3組の子供達にライジンオーを託す。ただし、敵との戦いで負傷して戦線離脱したり、少年らにロボットを託した後に、より重要な地域や時間軸へ転戦してしまい、基本的に子ども達を放置するため無責任と取られがちである。「エルドランは迷惑」と言ってしまい、彼をモチーフにした邪悪獣も出現している。
武田長官
声 - 西村知道
防衛隊の指揮を一手に任されたエリート。軍人でない子供たちが戦うことを快く思っていなかったが(これに関しては、「子供たちを無責任に命懸けの戦場に出向かせる訳には行かない」という大人なりの責任感がゆえ、との見方を取るファンもいる)、地球防衛組の活躍を見て共に戦うようになる。ライジンオーと比べると格段に劣る防衛隊の戦力ではあったが、終盤にワルーサとの直接対決では懸命の攻撃が地球防衛組に反撃のチャンスをもたらすきっかけを作った。エルドランシリーズ全作を通して登場。放映当時は単に「長官」と呼ばれており、名前が出てきたのは次回作の『元気爆発ガンバルガー』になってからである。「ワシゃ高い所が嫌いなんじゃ〜」と言っていた(第21話)が、ライジンオーMk-Ⅱのコックピットには普通に乗っていた。
山口 実【やまぐち みのる】
声 - 高乃麗
四話のゲスト。おのぼり山の地元の少年。おのぼり山の木々が切り倒される事を迷惑がっている。最初は遠足に来ていた仁達に反感を持っていたが、花畑を守ろうとするライジンオーのピンチを、その耳で救った。
山口 梢【やまぐち こずえ】
声 - 林原めぐみ
おのぼり山の地元の少女で、山口実の妹で4年生。花畑を大事にしており、チロというウサギを世話している。遠足に来ていた吼児と仲良くなり、その後清き文通をしている。
和尚
声 - 滝雅也
陽昇寺(ようしょうじ)の住職。寺をヤクザに地上げされそうになった事がある。
大宮 恵津子【おおみや えつこ】
声 - 伊藤美紀
美人ニュースキャスター。きららの憧れの的である。小説でのもう一人の主役でもある。
レオニ
声 - 高乃麗
アフリカの少年で、吼児の文通仲間。文通のキッカケは、UFO雑誌らしい。
レオニの父
声 - 玄田哲章
アフリカで動物保護官をしている。
キャロル
陽昇学園で飼われているヤギ。校長と一緒にいる事が多い。矢沢永吉率いるロックバンドのキャロルが名前の由来。
シッポ
陽昇学園に迷い込んだ子犬で、マリアが命名。教頭先生に追い出されそうになるが、紆余曲折の末に美紀に飼われる事になった。
荒木源蔵
駄菓子屋「元気堂」の主人。次回作の『元気爆発ガンバルガー』のキャラだが、第51話にゲスト出演を果たす。
荒木純
駄菓子屋「元気堂」の息子で、青空ゲンキーズの監督。次回作の『元気爆発ガンバルガー』のキャラだが、第51話にゲスト出演を果たす。親子ともどもこの時点では声は発してはいない。

五次元世界ジャーク帝国
皇帝ワルーサ
声 - 笹岡繁蔵(ゲーム「スーパーロボット大戦GC」では大友龍三郎)
五次元を支配するエネルギー生命体。エルドランとははるか昔から敵対していた。部下を単なる道具としか見なしていない態度や、終盤の防衛隊の総攻撃を「蚊に刺された」程度に受け流していた事が、後に命取りとなる。『スーパーロボット大戦GC』では最終話の一話前に登場、圧倒的な能力値もさることながら、戦闘アニメの彼の周囲が地形に関わらず異次元のような空間になるという特殊な表現手法がなされていた。
ベルゼブ
声 - 梁田清之
五次元帝国三次元侵略前線司令官。顔は美形だが、その胴体はがらんどうで同一固体の分身ファルゼブが潜んでいる。ワルーサにジャークサタンを与えられた際にコスチュームが変わる。
再三地球侵略を邪魔され続けていた相手のライジンオーを操縦していたのが地球防衛組の子供たちと知った時は激高の余り、凄まじいまでの勢いでゴッドライジンオーを追い詰めたほど。皇帝に絶対の忠誠を誓うが、終盤に裏切られる。倒された後も戦士としての誇りから地球防衛組との戦いを続けようとするが…。小説ではファルゼブとはかつては一体で「ベファルゼブ」という姿だったとされている、それから分かれたばかりの頃は、感情や考え方にも差はなかったらしいが、徐々にそれぞれの自我が生まれてきたようである。
ファルゼブ
声 - 林原めぐみ
ベルゼブの半身。和服を着た小さな妖精のような姿をしているがジャークパワーを照射する際には悪鬼の形相になる。普段はベルゼブの胸の奥にある亜空間(?)に潜んでいる。彼女が普段いる空間がどうなっているのかは、ベルゼブにも分からないらしい(小説にてタイダーに用意させたテレビがあることが判明している)。
タイダー
声 - 吉村よう、辻村真人(第39話以降)
邪悪獣を育成する副官だが、ベルゼブとファルゼブのストレス解消(八つ当たり)の対象にされているフシも。派手目の格好をした小太りの男。ベルゼブには従順。小説版によれば、三次元に来る前は有能だったが次元を越える際に人格が破壊され怠惰になってしまったとか。何故か仁の両親に気に入られ、最後には日向ストアの従業員になる。
ゴクドー
声 - 大塚明夫
OVA版に登場。皇帝ワルーサ亡き後、その跡目を狙おうと、背中の入れ墨に封印したベルゼブを人質に、ファルゼブから地球防衛組の情報を聞きだした。髪の毛は触手化したり、針状にして飛ばしたりできる。アイパッチ型のヘッドマウントディスプレイで戦況を分析する。刃の透明な刀、ドスクリスタルは武器としてだけでなく、ジャークルシファーへの変形も可能。地球防衛組を手下にしようと画策した。

2009年01月17日

フォーチュン・クエスト

『フォーチュン・クエスト』(Fortune Quest)は、1989年にシリーズ第1作が発売された深沢美潮のファンタジーライトノベル作品。または、それを原作にした派生作品の総称。イラスト・漫画化作品の作画は迎夏生が担当している。

略称は「フォーチュン」「FQ」など。
1989年に角川スニーカー文庫で『フォーチュン・クエスト』(当項目では、以降これを「無印のフォーチュン・クエスト」と呼称する)が開始され、8巻まで発売される。その後、続きがレーベルが電撃文庫に変わって『新フォーチュン・クエスト』が開始される。その後も本編以外でパステル達が冒険者になって最初のクエストに挑戦するまでの『フォーチュン・クエスト外伝』(角川スニーカー文庫)、冒険者になったばかりの頃にしていたアルバイトについての『フォーチュン・クエストバイト編』(角川mini文庫、角川スニーカー文庫)が角川書店から刊行されていたが、外伝は新刊の3巻を加えて『新フォーチュン・クエスト外伝』、本編とバイト編は『新装版フォーチュン・クエスト』として電撃文庫から発売されており、全ての作品が電撃文庫から発売されている状態となっている。本編以外の物語には他にも『新フォーチュン・クエストL(リミテッド)』がある。

1997年にはテレビアニメ化され、『フォーチュン・クエストL』が毎日放送で放送された。他にもオリジナルストーリーの漫画版やテーブルトークRPG『フォーチュン・クエストRPG』など様々なメディアで展開された。

2007年10月から、ポプラポケット文庫(ポプラ社)から児童文学として無印1巻から順次再版が開始されている。これで角川書店、メディアワークス、ポプラ社と、三社に渡って作品が展開されることとなる。

同作者の作品『デュアン・サーク』『青の聖騎士伝説』は、フォーチュン・クエストの世界の約100年前を舞台とした作品であり、それぞれの作品間を繋ぐ人物やアイテムなどが登場している(デュアン、オグマとサムラ、クレイ・ジュダ、ランド、シドの剣など)。

主人公パステル・G・キングは、詩人兼マッパーを職業とする駆け出しの冒険者である。パーティの財政も管理しており、いつもお金に苦労している。そんなある日、シナリオ屋のオーシからアルバイトを頼まれる。それはヒールニントという村の温泉水を取ってきてほしいというものだった。金欠に悩まされるパーティは仕方なくヒールニントに向かうけれど……
タンカー ドル箱 フィクサー チョンチ 微熱 フッター バーム トレー オペラ ロジス トーナメ ヤーコン ファーマ ジェノサ オフコン プロパ ビジタ お祭り ゴング ギタリスト ゲスト ハンド 北風のキ ピラニア リボン パイル ハイブリ チュウ ハット ワイツ ムラサ 雨のタン ストーン スターチ テーブ シンシア セピア バーナー しもにた イソウ サーチスギ パラメ シルフィ リッツ そうま タイム オスロニク キーポイ シャイニ ばるべーら


本作はパステルの一人称で書かれており、これは第一巻のあらすじである。

世界観
剣と魔法が活躍する、典型的なファンタジー世界を舞台としている。冒険者支援グループや保険会社など現実的な要素も加わり、さらに主人公達は熟達したパーティなどではなく、かけだしひよっこパーティだということが、読者に親近感を持たせている。

冒険者支援グループ
世の中のモンスターに立ち向かう存在であるが、生活の不安定な冒険者を支援するために発足された組織。冒険者はこのグループから身元を保証されることで、交通費や宿泊費の軽減などのサービスを受けることが出来る。活動資金は加入する村や自治体からの寄付金で賄われ、その村がモンスターの被害を受けた場合は、戦力や金銭面での援助を受けることができる。

冒険者カード
冒険者の身分証明書。資格試験に合格することで交付される。上記のサービスを受けるためにはこのカードを携行していなければならない。カードには、名前、生年月日、本籍、連絡先(冒険者としての拠点)、職業、レベル、特性値(体力、知力、魔力、カルマ、経験値)が記載されている。一年に一度、更新することが義務づけられている。物語当初は各個人の誕生日に更新していたが、途中から全員が同じ日に更新手続きをするように変更された。ただ、あまりにも数が膨大すぎる為バグが発生するトラブルがあった。

レベル
冒険者カードに記載されてる値の一つ。経験値を積むことでレベルが上がる。経験値はモンスターを倒すことによってのみ加算される(特例として、冒険の功績が認められれば加算される場合もある)。どの程度のモンスターを倒したかの目安にはなるが、必ずしも本人の実力を反映しない。冒険者たちの間では、レベル=強さと見る傾向がある。

登場人
パーティメンバー
パステル・グロリア・キング
この作品の語り手であり、主人公の少女。「詩人兼マッパー」という職業につきパーティの中での役割としている(マッパーとはマッピングする人、つまりダンジョンなどで道に迷わないために地図を作る人のこと)はずなのだが、実は極度の方向音痴であり、町の中でもたびたび迷子になるほどである。
森の中にあるガイナという街の生まれで、14歳の時に両親をモンスター襲来と持ち込まれた伝染病で失った。他の街に住むそりの合わない祖母と暮らすよりも、と冒険者への道を選んだ。ただし冒険者になった後は手紙等を書いて近況は報告しているらしい。返事は貰っていないようだが、祖母の傍で働いている人から彼女の近況を聞いている。
明るく前向きな性格で、落ち込みやすいが立ち直りも早い。面倒見はよく相談役などにもなるが、相談する側にも結構なっている。その性格に惹かれてか、半魚人とギア・リンゼイにプロポーズされた事がある。
武器は、ショートソードと折りたたみ式のクロスボウだが、どちらもあまり上手ではない。
パーティの財務担当しており、いつも財政難金欠などで頭を悩ませている。自分たちの冒険譚を小説にしており、貴重な収入源となっている。
普段は並みの精神力しかないが、必死になるとすさまじい意志の力を発揮する。事実、恋の女神メナースに体を乗っ取られたときに人間の身でありながら、自力で体の外に女神を追い出すという離れ業を披露した。『忘れられた村の忘れられたスープ(下)を参照』
クレイ・シーモア・アンダーソン
パーティのリーダーであり、職業は戦士である。小説開始時点で18歳、身長180センチくらいで黒色の髪にとび色の目をしている。
礼儀正しく真面目な性格をしており、トラップとは幼馴染。それ故気苦労が絶えず、しょっちゅう貧乏くじをひいている。人の事は心配して気遣うくせに、自分のことはおろそかにしてしまう優しいという同時に危なっかしい性格をしている。
故郷はガイナの西のドーマという街。
曽祖父が伝説の「青の聖騎士」クレイ・ジュダ・アンダーソンであり、彼はその曽祖父の名を受け継いだたった一人の人物である。クレイ・ジュダは『青の聖騎士伝説』や『デュアン・サーク』に登場しているが、『フォーチュン・クエスト』においても伝説の人物として話の節々に登場している。
家は代々騎士という名家アンダーソン家で、アルテア、イムサイという兄が二人いる。双子にしか見えないが年子でありアルテアが長男、イサムイが次男。厳格な祖父がいる。父親に関しては詳しく語られてはいない。偶然だろうが、クレイ・ジュダも上に双子の兄が存在している。
武器は、実家から持ち出してきた細身の長剣である。この剣は、伝説の聖騎士クレイ・ジュダが使っていた「シドの剣」ではないかとも言われている。
防具はお手製の竹アーマーと、その上からサラディー国王からもらったブレスト・アーマーを身に着けている。
元々ちゃんとしたアーマーを装備していたのだが、トラップに資金を使い込まれたため泣く泣く防具を売る羽目になり、そのかわりに竹で自作した。兄二人の好意(?)で魔法による防御力UPで「竹アーマー+1」になり、並みのアーマーよりも遥かに高性能となっている。
首にいつも曽祖父の肖像が入ったロケットを持っている。
サラという婚約者がいたが、本人同士が決めたのではなく親同士が決めた婚約者ということで、クレイ本人はサラをいい友だちと思っていた。後サラの病気に関わるクエストを達成後、彼女からの申し出で婚約を解消した。
トラップに「マダムキラー」と揶揄されるほどおば様方にもてる。
トラップ
クレイの幼馴染であり、職業は盗賊。口が悪いトラブルメーカーではあるが、現実主義者なため、お人よしが多いこのパーティでは貴重な人物でもある。盗賊であることに自信と誇りを持っているが、簡単に罠にはまってしまうなど軽率な面もある。闇にまぎれるのが仕事であるはずの盗賊であるにもかかわらず、派手な色の服を好む傾向にある。
以前は「我が家に代々伝わる由緒ある品」と渡された緑色のタイツを大事に履いていたが、後に実は真っ赤な嘘で騙されていたことがわかってからは履かなくなっていて、そのせいかパステルによると最近少々お洒落になってきている。
主な武器はパチンコで、俊敏性をいかした戦い方をし、木などするすると登っていってしまう。
実家はドーマにあるブーツ一家という盗賊団。盗賊団とはいっても、主に遺跡発掘やお宝探しなどをして街に貢献している「良い盗賊団」である。両親と祖父のほか、大勢の盗賊団のメンバーがいる大家族である。
本名はステア・ブーツ。祖父が同じ名前であり、区別のためにトラップというあだ名で呼ばれている。
ルーミィ
エルフ族の幼女で、魔法使い。ふわふわのシルバーブロンドの髪にぱっちりとしたブルーアイを持ち、一見天使のような容姿をしているが、大食漢である。
パステルが冒険者になるために故郷のガイナを発ち、エベリンに向かう途中、煤だらけで道端で泣いている所を拾われた。生まれ故郷であるエルフの里は大規模な山火事に巻き込まれ、親や仲間の消息は不明となっている。
パステルにとっては妹のような存在である。
はじめはメモを見ながらでないと呪文を唱えられなかったが、特訓ののちに克服。魔法の素質を開花させてゆく。
ファイヤーやコールドの初級の魔法は当初から使えたが、後に中級以上の魔法に当たるフライを会得する。どうやら彼女の種族に関係があるらしい。